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biography
スペースソンコ・マージュ プロフィール
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1966 スペイン政府給費留学生としてアンドレス・セゴビアに師事、クラシック・ギターを学ぶ。
1967 アルゼンチンが生んだ世界的フォルクローレギター奏者、アタウアルパ・ユパンキの前で彼の作品を演奏し、その高い音楽性を認められ、ユパンキから愛用のギターの名器(ヌーニェス)とともにソンコ・マージュの名を贈られる。
以来、スペイン サンチアゴ・デ・コンポステラのカピージャレアル、メキシコ 国立劇場ベージャスアルテス、キューバ アマデオロルンダン、アルゼンチン コスキン音楽祭など各国の演奏会で絶賛される。
万国博のペルー ナショナルデーに特別出演。ユパンキ追悼演奏会ほか、多数の演奏会に出演。
1983 ペルー リマ市の栄誉賞を受ける。
1998 国際芸術文化賞および国際文化栄誉賞を授与。
現在、ユパンキの精神を引き継ぐ唯一の弟子として多彩な活躍をする
アタウアルパ・ユパンキの音楽と私  -ソンコ・マージュ-
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 不世出の音楽家ユパンキが逝って、はや10数年が過ぎた。
 師ユパンキが私に残していってくれたものは、愛に透徹した全人類的と思われる音楽と人間の平等性、それに寛容であった。そのことから私はユパンキのギターの弟子というより、ヒューマニズムの弟子と言ったほうが適切かも知れない。
 1992年5月22日私は突然ユパンキから貰ったギターを弾きたくなり、めったに弾いたことのない曲<悲痛のビダーラ>を弾いたのだ。不思議にも翌朝の新聞で師の訃報を見た。
 思えば師が私に呉れた楽器は<愛しの息子>と呼んで、いちばん愛用していたものであったから、師はその音に包まれ永い眠りにつきたかったのだろう。ギターの音はいつになく優しく、かつ力強かった。そして不思議なことはまだあった。ユパンキの逝く数日まえ、彼の母国アルゼンチンの国営放送ラジオナショナルから一人の放送記者ファビアン・ロメロ氏が私を紹介したいとのことでブエノス・アイレスから私の家に来た。いろいろ質問の後で、特にユパンキに言いたい事はあるか、と訊ねた。私は直ぐにもユパンキに会いたい旨をこれまでにない語調で伝えたのだった。ところでユパンキは「風景」という言葉をよく使った。風景のなかで最も素晴らしいのは人間だとも言った。確かに人間は自然が創り出したもののうちでは傑作ではあろう。その自覚は大事である。しかし人間が自然のなかのひとりである自覚を忘れてはならない。だから人間が多くの自然を支配することは人間自身を支配するのに等しい行為だ。今や人間は尊い地球の生命を一瞬に奪うことすら出来る。この人間世界に慄然とすべきだ。
 ユパンキは偉大な芸術家である前に、人間を含む「自然への畏敬」を叫び続けたひとりの人間でもあった。
 私はユパンキの音楽の豊かな人間性に深い感動の楔を打ち込まれ、日本人として始めて師の作品をレコードに収めたのだが、それ以上に、活字でユパンキを音楽ファン以外の多くの人々に紹介してくれた作家の五木寛之氏の功績は大きい。セゴビアが逝き、ユパンキが逝き、共に我が師でもある20世紀最大のギターの重鎮を失った。私はユパンキの尊い精神を伝えるべく、形見のギターで私なりに体現していくつもりでいる。私に遺したユパンキの言葉がある。

「ギターは心の前に置いて弾かねばならぬ唯一の楽器だ。
だから深い親愛の声を持っている」
ソンコ・マージュ
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ソンコ・マージュによせる  -アタウアルパ・ユパンキ-
 ギター芸術におけるソンコ・マージュの存在は、ありふれたものではない。アンデスとパンパの風景を、誠実でしかも情熱を込めた良心的な演奏で披露する彼は、いちじるしい同化力と人間精神の地平線を拡げたいという熱い願望を一身に現している。
 ソンコ・マージュに国際的水準の芸術家、同時にたいそうな、日本的な芸術家を認め、挨拶を贈ることは私の喜びである。

アタウアルパ・ユパンキ 1976年
魔術による浮遊の感覚  -村上龍(作家)-
 初めてライブでソンコ・マージュの演奏を聞い たのがいつだったのか、はっきりとは覚えていな い。だがそのときの興奮と感動は今でもはっきり とよみがえってくる。ピンと張られた細い弦が弾 かれて、緊張感と安らぎが混じった音が会場にこ だまし、わたしはどこか遠いところへと運ばれて いくような感覚を味わった。ソンコ・マージュが生 み出す音の連なりがわたしを包み込み、まるでふ わふわと空に浮かぶ雲のようなものに乗ってどこ かへ運ばれていくような気分にとらわれたのだ。
 わたしはまず、ソンコ・マージュという演奏家に 畏敬の念を持ち、次にギターと言う楽器が持つ特 別な音色と奏法に心を奪われ、やがてユパンキと いう偉大なアーティストに敬意を抱き、そして最 後に音楽だけがもつ素晴らしさを体感した。

 ギターと言う楽器にはいくつか特色がある。ハ ンマーで弦を叩くピアノとも違うし、フレットの ない弦を弾くハープとも違うし、減を弓でこする バイオリンとも違う。ギターの音は、弦と指が常に 直接触れ合うことによって生み出される。ギタリ ストは自らの指で弦のテンションを変えながら、 もう片方の手の指でそれを弾く。だから優れたギ タリストの演奏に接すると、まるで赤ん坊とか恋 人を優しく撫でたり激しく愛撫しているように思 えることもある。複雑な構成の楽曲全体を通じて、 正確にフレットを押さえ、正確に弦を弾くのはお そらく奇蹟に近い行為なのだと思う。正確な技術 と表現のギター演奏がわたしたちを酔わせ、どこ か遠いところまで運んでいくのは、不可能に近い ことが連続して実現されているからだろう。

 そしてソンコ・マージュが奏でる音楽は、選ばれ た特権階級のものではなく、虐げられた民衆の側 に立つものだ。だから限りなく優しく、強い。客席 の灯りとざわめきが消え、椴帳が上がって、ステー ジのギタリストにスポットライトが当たる。拍手 のあと、ギタリストは軽く一例して、チューニング を確かめ、左手の指をフレットに当てて、右手の指 を弦に近寄せ、最初の音がホールに響く。そのとき から、まるで濃い霧が一瞬にしてはれていくよう な陶酔が始まる。フレットに添えられた指から微 細なヴィブラートが奏でられ、デリケートな音の 震えによってコンサート会場に魅惑的な空気の切 れ目のようなものが生まれ、わたしたちはその内 部に入っていき、そのまま気持ちのいい何かに包 み込まれ、ソンコ・マージュの魔術による浮遊の感 覚が始まる。わたしはその感覚を味わいたくてコ ンサートに足を運ぶのである。

村上 龍
ソンコ・マージュと愛器  -石原 正康(幻冬舎・常務取締役)-
 ソンコ・マージュを毎週訪ねること11年続いている。家の近所にソ ンコ・マージュの表札を見て、まさか本人がここにいるわけでなく、その弟 子がギターの教授をしているのだろうと呼び鈴を鳴らしたら、本人が出て きた。にこやかでいて、どこか威厳のある風貌を間近にした。それ以来週に 一度ギターを習いに通ってる。  約一時間半のレッスンの時間だが、ギターの手ほどきを受けるのは後半 の30分程度だ。他の時間はすべてソンコ・マージュの言葉で埋め尽くさ れる。話しは多岐に渡る。政治、経済、国際状況、そして当然ソンコ・マージュ の音楽に対する深い考察までに及ぶ。ギターよりも師の哲学を学ぶこと が大切であると実感させられることばかりだ。そのひとつ。以前、ソンコ・ マージュが演奏旅行でアルゼンチンを訪ねた時、空港で乗ったタクシーの 運転手に「あなたはソンコ・マージュでしょ?」と尋ねられたそうだ。ソ ンコ・マージュも驚いたそうだが、よくよく見ると日本にも公演にきたこ とのある高名なバンドネオンの奏者がその運転手だったそうである。確か に音楽だけでは営みが苦しく、他に生業を持つ優れた音楽家が南米には数 多くいるとソンコ・マージュは語る。そして、それは貧しさでなく、むしろ 豊かさであり、民度の高さともいえる、と。音楽、それも民族から生まれた 音楽を体得しながらハンドルを握る。なんて素敵なことだろうと僕も思っ た。その話を聞いたとき、フォルクローレの巨匠ユパンキとクラシックギ ターの巨人セゴビアに深く愛されたソンコ・マージュの音楽をおぼつかな い手つきながらなるたけ吸収し、編集者としての自分の仕事に反映させよ うと決心した。  午前中にソンコ・マージュを訪ねるとひどくねむそうにしている時がある。 その時はたいてい朝方まで、自分のギターを修理していたためである。ギ ターの弦を緩め、サウンドホールに手をつっこみセラックという虫の糞を 原料とした塗料をぬったり、ギターヘッドに添え木をしたり、試行錯誤を くり返す。ストラディバリウスが「なんでそんなにすぐれた楽器を作るこ とができるのか」と尋ねられ、「耳がいいからだ」と答えたそうだとソンコ・ マージュから聞いたことがあるが、音楽家であるソンコ・マージュが求め るギターの音色は楽器製作者からさらに踏み込んでいるはずだ。ユパンキ から譲り受けた名器「ヌーニェス」を弾かせてもらったことがあるが、やは りとんでもない代物だった。ギターの存在感そのものが名画のように魂を 持ち、手にするとギターが勝手に音楽を奏でてくれる、そんな感じだった。 もちろん私のような若輩者につり合うものではなかったが。  以前イタリアのクレモナに鈴木バイオリンの製作者を訪ねたことがあっ た。その時、製作者たちがストラディバリウスやグァルネリを追い求めて も、どうしても達成できないことがあると語っていた。それは、それらの名 器はコンサートホールで名手により演奏されると、照明を返し黄金色の光 りを天井に届かせるという。材料の経年数や塗料のことを突き詰めて調べ ていっても、どうしてそうなるのか理由が分からないそうだ。  太古の輝きそのもののような光を、ソンコ・マージュと愛器はつねに 放っている。

石原 正康
ソンコ・マージュの芸術  -篠田暢之(哲学者)-
 ソンコ・マージュの人と芸術の素晴らしさを喧伝するとき、迷わず「聴け ばわかる」という言葉になってしまう。ソンコ・マージュはこの数年来、口 ぐせのように「アンデスやパンパの風景を音にしただけでは単なる音楽に すぎない、師ユパンキはこれを芸術にまで高め得た、私はそこに新たなる ソンコ・マージュのキャラクターを付与した」と私たちに言ってはばから ない。
 ともあれ彼の奏でるその音楽をひとたび耳にすれば、誰であれこの彼の 自信に満ちた言葉が決して尊大にして驕慢な発言でないことがよくわか る。それは師ユパンキが中央アンデスのきわめて地方的な民族色豊かなモ チーフを扱いながら、そこに全人類的な精神の普遍性を認め、謳いあげた ように、ソンコ・マージュの芸術は師ユパンキの魂と精神を継承する唯一 のアーティストと言ってよい。
 フォルクローレの巨匠、ユパンキは彼の音楽活動の大半を自らの分身と して託したギターの銘器「ヌーニェス」をソンコ・マージュに贈った。フォ ルクローレを世界の芸術にまで高めたユパンキが愛用した銘器「ヌーニェ ス」はユパンキの魂と精神そのものである。師ユパンキから銘器「ヌーニェ ス」を与えられたソンコ・マージュには師の並々ならぬ期待がこめられて いることは言うまでもない。
 ソンコ・マージュの音は時に無上の優しさを表現し、またある時は熱く ほとばしり出る激しさとなって私たちに迫る。ソンコ・マージュの歌は、救 われることのない民衆の嗚咽であり、心優しきが故にその優しさを踏みに じられた弱者の驕慢な人々への断固として赦すことのない激しい怒りと 抵抗となって、私たち聴くものの胸をひきさく。ミキス・テオドラキスがギリ シア革命で見せたあの音楽家としての使命を、ソンコ・マージュはアンデ スとパンパの原風景を貸りながら混濁の世相に警鐘を打ちならす稀有の 芸術家である。
 ソンコ・マージュの芸術に私たちがみるものは、もはや慷慨だけになり さがった軟弱なイデオローグたちや、森の中に迷い込んだ驕慢な哲学者た ちに、もはや何ものも期待できなくなった今日的情況に、静かにした痛烈 な批判の矢を放つその姿である。ソンコ・マージュはユパンキが十八年間 愛器とした銘器「ヌーニェス」を奏で、そして歌い、強烈にして優しい一条 の光を、聴くものの総てに生きる力として、投げかけてくれる。

篠田 暢之
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